結論から言いますと、
- 100円ショップでノートとペン(220円)を買って、
- 家族との思い出を覚えてる限り書きまくって、
- そのノートの内容を家族に伝える(少しの勇気)。
これで、うつ病が治りました。
私はプロのカウンセラーでもお医者さんでもないので、
- この方法が、うつ病に効果がある理由
- このやり方で、うつ病が治る根拠
など、専門的な詳しいことは分かりません。
が、もしかしたら誰かのお役に立てるかもしれないので、1人のうつ病患者の経験談をシェアさせて頂きます。
うつ病 症状
28歳から38歳の10年間、以下のような症状に苦しんでました。
- 母と話そうとすると、喉が詰まって声が出ない。
- 父とは話せるが、挨拶するのが限界。
- 母の声や足音を聞くと、頭痛や吐き気を感じる。
- 父は何を考えているか分からなくて、理解ができない。
- 弟はかわいくて大好きだけど、申し訳ない気持ちになる。
- 仕事には行けるが、毎日働けない。
- 1日働くと、次の日はクタクタで体が動かない。
- 夜なら外出できるけど、昼間は部屋から出られない。
- 大人数で働くことに苦痛を感じる。
- 1人で黙々と作業することはできる。
まともに働けず、30歳を過ぎても実家から出れずに自立できない自分を責め続ける日々。
「このままじゃダメだ。なんとかしないと。」頭では分かっていても、行動に移せない・やる気が出ない。そして、また自分を責める。
この自己嫌悪の無限ループから抜け出すきっかけをくれたのは、1本の動画でした。
2023年10月25日(水)の朝、この動画をyoutubeで発見。
夜勤明けでめちゃくちゃ眠たいのにも関わらず、気づいたらチャンネル内の動画を全部見終えてました。
翌朝、目をパンパンに腫らした状態で100円ショップに行きノートとペンを購入。
- 母親との楽しい思い出・悲しい思い出
- 父親との楽しい思い出・悲しい思い出
- 弟との楽しい思い出・悲しい思い出
これらを1日かけて、頭が空っぽになるまでノートに書きました。
なぜ、このようなことをしようと思ったかは未だに分かりません。
前述の粋塾チャンネルで元気になっていく子どもたちを見て、自分も今まで溜め込んできた感情をどこかに吐き出したくなったんだと思います。
うつ病 原因
家族との思い出を書いたノートを見返してみると、両親(特に母親)に対して鬱積した恨み辛みを抱えている自分に気づきました。
一文で表すと、私は母親が良い母親になるための道具で、父親は私に興味がない。
こう思い込んでる自分を発見。
小学1年生の頃、家の近くの踏切内で友達とザリガニを捕まえて遊んでいました。
あー今日も楽しかったな~♪
とニコニコしながら家に帰り玄関を開けた瞬間、
今まで、どこで遊んでたんや!
母の怒号が響く。リビングに行くと母が仁王立ちで待っていて、目にはなぜか涙を浮かべている。
何が起きているのかよく分からないけど、とりあえずお母さんの質問にちゃんと答えなきゃと思い、
さっきまで友達とザリg・・・
ぐらいのタイミングでいきなりビンタ(笑)。
顔を正面に戻すと、お母さんは私に背を向けて泣いている。殴った大人がなぜか泣いていて、殴られた子どもは茫然と立ち尽くしている状況。
泣きたいのはこっちなんですけど?(;・∀・)
当時の私は完全にパニック状態(笑)。
その晩、布団に入りながらいろいろ考えました。
僕はビンタされるほど、悪い事をしたのかな?
殴った方のお母さんが泣いてるのはどうして?
踏切で遊ぶのがダメ?ザリガニ捕っちゃダメ?
たくさんの疑問が出てきた中で一番不思議に思ったのが、踏切で友達とザリガニを捕っていたことを、なぜ母が知っていたのか?
よくよく思い返してみると、家に帰る前に近所のオバサンに注意されたのを思い出しました。
「あのオバハンが、チクりよったんや!」
このことに気づいた瞬間、お母さんが近所の人から悪いお母さん(踏切で遊んではいけないことをちゃんと教育できていないお母さん)と見られたから、僕はビンタされるほど怒られて、お母さんは泣いていたんだ。という結論に着地。
だって、そうですよね?純粋に子どもの安否を本当に心配しているだけなのであれば、
- 踏切で遊んではいけない理由
- ザリガニが捕れる他の場所を一緒に探す提案
この2つを冷静に優しく伝えれば良いだけの話ですよね?いきなり怒鳴りつけて、ビンタするほどのことではない(笑)。
子どもはただ経験不足で知らないこと・気づけないことがあるだけで、バカではないんです。
ちゃんと愛情を持って、言葉で説明すれば分かる。
もちろん、当時の私はまだ6歳の小学1年生ですから、ここまで客観視して論理的に言語化できたわけではありません。
でも、感覚的に分かってたんです。
何かがおかしいと。
「今、この人は僕のために怒ってるんじゃなくて、自分のために怒ってるんだ。」というのが直感的に分かるんですよね。
でも、子どもってお母さんのことが大好きです。お母さんのために頑張ろうって思うんです。
だから、このザリガニビンタ事件を境に「お母さんが良いお母さんに見られるように、僕はちゃんとしなきゃいけない。」と無意識で自分に言い聞かせ続けてきたみたいです。
そのことに、32年経ってから気づきました。
母親としての存在価値を、子どもの出来・不出来に求める母親
自分の存在価値を、母親の出来・不出来に求める子ども
こんな関係性が40年近く続いてたようです。なんて不健康なんでしょう(笑)。そりゃ、うつ病にもなりますわ(;・∀・)
とある日曜日。私は父に話しかけました。
ねーねー、お父さん何してるの?
ん?はんだづけ。
父は真空管が好きで、週末はよくアンプを自作していました。
へー。これは何?
それはハンダゴテ。
熱いから気つけや。
はーい。
その日の父との会話は、これで終了。なんて冷たい父親なんでしょう(笑)。
(今日は日曜日だから、お父さんが家にいて嬉しい!)
ねーねー、お父さん何してるの?
(一緒に遊びたいなー♪)
かわいい我が子に話しかけられたら、この行間を汲み取ろうとしません?(;・∀・)
お父さんがマジで何をしているのか?を知りたくて聞いたんじゃありません(笑)。
私はただ、お父さんと遊びたかったんです。
今では笑える貴重な思い出ですが、まだ幼かった私は「あっお父さんは、僕に興味がないんだな。」と、すごく寂しくて悲しい気持ちになったのをよく覚えています。
この日をきっかけに、私は父から距離を取るようになりました。嫌いでもないけど、好きでもない存在。嫌われてはないと思うけど、好かれてるとも思えない。
私が話しかければ、ちゃんと答えてくれる。
でも、父の方から私に話しかけてくることは皆無に等しい。今で言うと、ChatGPTのような感じでしょうか(笑)。
そんな不思議な父のことを38年間、全く理解ができなかったんですが、
自分が書いたノートに、父を理解するためのヒントがありました。
父の父(私の祖父)は転勤族で、父は何回も引っ越して転校を繰り返していた。
という話を思い出し、「もし、自分が父のような環境で育ったらどう感じるだろう?」と想像してみました。
あっオレやったら、友達作る気なくすわ。
だって、どうせまた転校するし。
友達作っても意味ないもん。
子どもの頃の父になりきってみた途端、
- 1人で遊ぶのが好きな父
- 人付き合いが苦手な父
- 自分からは話しかけてこない父
今まで理解できなかった父の言動が分かるようになりました。
うつ病 原因 家族
無我夢中で書いたノートの中には、父親に頼れず、母親の存在価値を上げるために、今まで独りで頑張りすぎてた子どもがいました。
その子どもの存在に気づいた瞬間、号泣。
ただ、両親に対する怒り・悲しみ・恨みから流れる涙ではなく、感謝の涙でした。
なぜなら、
人生で二度も私は両親に命を救われてるからです。
一度目は、10歳~12歳まで小学校でいじめられてる時。
母は全力で私の味方をしてくれました。
二度目は、28歳~38歳までうつ病でまともに働けない時。
父は一切、文句を言わず支え続けてくれました。
もし、母が無理やり私を学校に通わせるような母親だったら?
もし、父が口うるさく、私を責め続けるような父親だったら?
そう思った瞬間、「お父さん、お母さん、本当にありがとう。この家に生まれてきて良かった。」という気持ちで涙が止まりませんでした。
子どもは親を選んで生まれてくる。というのは、本当かもしれません。
私の母が私の母でなかったら、私の父が私の父でなかったら・・・?
たぶん、私は自殺していたかもしれない。
- 2023年10月25日(水)粋塾チャンネルに出会う
- 2023年10月26日(木)家族との思い出をノートに書きだす
- 2023年10月27日(金)うつ病の原因と両親の愛に気づく
- 2023年10月28日(土)両親に感謝の気持ちを伝える
10月28日は本当に怖かったです。
「どうやって話を切り出そうか?」「ちゃんと伝えられるのか?」「聞いてくれなかったらどうしよう。」
特に、母がどういう反応をするか?がめちゃくちゃ怖い。
話そうとした瞬間、ザリガニビンタ事件の時みたいに殴られるんじゃないだろうか?とすら思いました(笑)。
めちゃくちゃ不安だったんですが、私の背中を押してくれたのは、
またもや、このサイカさん。彼女の「助けたい。」この言葉を聞いて、驚きました。
私よりも、もっと辛い経験をされてきたのに、自分が救われたから今度は自分が助ける番。サイカさんの優しくて強い姿を見て、「私も誰かを助けたい。」と思うようになりました。
うつ病でしんどかったのは私だけじゃなくて、両親も同じ気持ちのはず。
自分が救われたのだから、今度は自分が両親を助ける番だと思い、両親に謝罪と感謝を伝えようと決意。
3時間半ほどかけて、ノートに書いた思い出を話しながら両親に感謝の気持ちを伝えました。すると、今まで知らなかった飛んでもない事実が判明。
- 祖父と曾祖母
- 祖母と曾祖母
ここの仲があんまり良くなかったそうで、母は小さい時から三者の間を取り持つのが大変だったということを教えてくれました。
大声で口喧嘩することも多々あったらしく、とにかく早く実家を出たかったと。
曾祖母は私が10歳の時まで生きていたので存在は覚えていますが、まさかあの優しい曽祖母と祖父母の仲が悪かったとは・・・
更に、ザリガニビンタ事件についても私の知らなかった新事実が。
小学校1年生の時に私が遊んでた踏切で、数ヵ月前に子どもが電車と接触して亡くなった事故があったとのこと。
- 子どもの時、両親に甘えることができなかった経験
- 我が子が踏切で亡くなってたかもしれない恐怖
この2つが重なって、ザリガニビンタ事件が起きてしまった。
あなたの言う通り、殴る必要はなかったよね。
ちゃんと落ち着いて説明するべきだったね。ごめんなさい。
かまへん、かまへん。オレの中では、もうおもろい笑い話やし、
オカンが全身全霊(ビンタ込みw)で育ててくれたから今のオレがおるから。
それに、オレが小学校でいじめられてる時、オカンだけは
ずっとオレの味方でいてくれたやん?
あの時、オカンが助けてくれへんかったら、たぶん自殺してたと思う。
命救ってくれて、ほんまありがとう。
これも衝撃でした。
と言うのも、祖父(父方)に兄弟がいて、父には従姉がたくさんいるなんて知らなかったんです。
この家系図を見て、父のことをより深く理解できるようになりました。
- 転校を繰り返していた子ども時代
- 親戚では一番、末っ子で自分より年下がいない環境
この2つが要因となって、半田付け事件に繋がった。
お前のことは好きやし、大事な子どもやけど
どう接してええんか分からんかった。寂しい思いさせてごめんな。
かまへん、かまへん。この家系図と転校だらけの子ども時代を考えたら、
そうなって当然やと思うし、オトンは何も悪くないで。
それに、オトンが今のオトンでいてくれたお蔭で
オレは10年間もの間、うつ病でいることができてん。
もし、オトンが面倒見の良い親分肌の性格に育って、
いろいろ口出しされてたら、オレは自殺してたと思う。
命救ってくれて、ほんまありがとう。
うつ病 治らない
心療内科で薬を処方してもらっても治らないし、毎日ひたすら寝ても治らない。
10年間、何をやっても治らなかったうつ病が、
- 2023年10月25日(水)粋塾チャンネルに出会う
- 2023年10月26日(木)家族との思い出をノートに書きだす
- 2023年10月27日(金)うつ病の原因と両親の愛に気づく
- 2023年10月28日(土)両親に感謝の気持ちを伝える
たったの4日で治ってしまいました。
両親に感謝の気持ちを伝えてから、今日で5ヵ月。今までの10年間が嘘のように、毎日が楽しくて幸せです。
自分でも本当に不思議なんですが、特に何か良いことがあったわけでもありません。
宝くじが当たったわけでもなし、かわいい彼女ができたわけでもない。
年収100万円ぐらいしかないし、新しい仕事も見つかってない。
うつ病で苦しんでた時と立ち直った後で、身の回りの現象は何一つ変わってません。
にも関わらず、毎日がなぜか楽しくて楽しくて。今、生きれてることが嬉しくて、嬉しくて。
自己啓発本によく出てくるコップの話と全く同じで、コップに入ってる水の量は一切変わっていないのに、
両親にされて嫌だったこと、腹が立ったこと、悲しかったこと
から、
両親にされて有難かったこと、嬉しかったこと、楽しかったこと
に目を向けるようになっただけで、こんなにも人生が明るくなるのかと驚いてます。
今、現在うつ病で辛い思いをされているのであれば、大丈夫です。安心して下さい。
あなたのうつ病も絶対に治るという無責任なことは言えませんが、これだけは確実に言えます。
うつ病を乗り越えることができたら、とんでもない幸せを感じることができるようになります。
朝、起きれること。ご飯が美味しいこと。太陽が眩しいこと。働けること。お風呂が気持ち良いこと。ぐっすり眠れること。
当たり前の普通の日常が、感謝で溢れかえるようになります。
うつ病で悩んでて、このページに辿り着いたということは、なんとかしようと必死で模索している証拠です。
「私の人生なんてどーでもいーや。もう無理だもん。」
って本当に諦めてたら、こんな個人ブログが見つかるわけありませんから。
もう、自分を責めなくても大丈夫ですよ。
外面では誰にも気づいてもらえなくても、内面ではいろいろ考えて、苦しんで、どうにかしようと一生懸命もがいているのを私は知っていますから。
うつ病 接し方
もし、ご家族や近しい方がうつ病で苦しんでるようでしたら、できるだけそっとしておいてあげて下さい。
ろくに働きもせず、食べては寝て、食べては寝て、自堕落な生活をしているように見えますが、本人の中ではなんとかしようと、いろいろもがいています。
どうしても心配になってしまう気持ちも分かりますが、
- 将来、どうするつもりなの?
- このままじゃ良くないよね?
- ちょっとぐらい外に出たら?
こういった言葉を投げかけられると、更に追い込まれてしまうんです。
「あぁ、自分のせいで両親に迷惑をかけてしまってるんだな・・・」って。
「なんとかしなきゃ。でも、体が動かない。やっぱり私はダメだ。」と、どんどんどんどん自責の念を募らせてしまうんです。
どうにか変わって欲しい。とあなたが思ってる何百倍も、本人は変わりたいと心の底から思ってるんです。
だって、うつ病で一番しんどいのは本人なんですから。
なので、心配するんじゃなくて、
- 話したくなったら、いつでも聞くよ。
- 部屋から出たくなかったら、出なくても大丈夫。
- 私はいつでもあなたの味方です。
と、信じてあげて下さい。
どんな状態であれ、今あなたの子どもさんが生きているのは、あなたが一所懸命愛情を注いだからです。
もしかしたら、愛情の注ぎ方を少し間違えてしまったこともあるかもしれません。
でも、あなたがたくさんの愛情を注いできたことは紛れもない事実。
あなたの子どもが今も生きているのが、その証拠です。
もう少し。もう少しだけ、信じてあげて下さい。いつかきっと昔のように笑い合える日が来るはずですから。
追伸
10年ぶりに母と話した後に、
過去の自分を見てるようで…m(_ _)m
という一文と共にLINEで送られてきた動画
な?客観的に見たら、コントみたいでおもろいやろ?
なんでビンタやねん!(笑)
今となっては、オカンとの大切な笑える思い出の1つやから
もう気にせんでええで!
おもろい動画送ってくれてありがとう^^
トラウマだったザリガニビンタ事件を、母と笑って話せる日が来るなんて・・・